여러분 안녕하세요?

師走の候、みなさまいかがお過ごしでしょうか。しばらく休止していた本サイト kanewakas.wordpress.com を「金素月の詩を読む」というタイトルで再開し、金素月の詩に関する記事を中心に掲載しようと考えています。

ハングル俳句の記事は、これまでどおり hangeulhaiku.wordpress.com に掲載しますが、タイトルを「ハングル俳句と韓国文化」に変更します。引き続きよろしくお願いいたします。

수아 樹芽(木の芽) 第12回

歌樽先生:そうですね。確かに意味が他のものとは全くちがいますからね。

16問:では、섧다」の連体形は次の内どれでしょうか。

1) 섧은    2) 서러운    3) 설운    4)

詩子アナ:「짧다:短い」は「짧은」ですから、1)の「섧은」のようですが、これでは易しすぎて問題にならないでしょうし、、

歌樽先生:問題を読む力はさすがですが、かなり困っているようですね。

詩子アナ:「서러운」は「서럽다」の連体形、「선」は「설다」の連体形、「섧은」でないとすると、「설운」が残りますから、、、自信はありませんが、

16問:答えは3)の「설운です。

歌樽先生:「ㅂ」変則で「설운」が正しい形ですね。「설」の下にさらにパッチムの「ㅂ」が付いたような形だと理解すればいいでしょう。

詩子アナ:では「설은 봄」というのは、本来は「설운 봄」でなければならないのですか。

歌樽先生:現在は「설운 봄」ですが、当時は「설은」がふつうに使われていたようで、金億先生の訳詩集『꽃다발』にも「설은 相思」、「설은 맘」などと書かれています。

詩子アナ:では「설움」は「설음」と書かれているのですか。

歌樽先生:その通りです。「나의 이 설음:私のこの悲しみ」「남의 설음을:他人の悲しみを」などの表記がなされています。

詩子アナ:「설은 봄」の「설은」と「설다 해도」の「설다」は同じ意味で使われているのですか。

歌樽先生:同じ意味だと思います。「섧다」の意味で「설다」がよく使われていましたから。同じ『진달래꽃』という詩集の本でも編集者が異なるため「섪다」、「섧다」とも書かれていますが、「섪다」は現在の表記法では「섧다」で、意味は「서럽다」と同じと考えられています。これは「원통하고 슬프다」つまり「怨めしい、つらい、口惜しい、嘆かわしい、悲しい」という意味で使われます。一方、「설다」は「生煮えだ、手慣れていない、足りない、(眠りが)浅い」などの意味があります。この意味で理解している人もいるようですが、新旧の「樹芽」を比べると、後者の意味でないことは確かです。

詩子アナ:「旧樹芽」の後ろの2行が「新樹芽」では削除されていますが、これはなぜですか。

歌樽先生:では、この問題を考えてみましょう。

17問:「旧樹芽」の以下の2行が「新樹芽」で削除されました。

내가슴에도 봄이와서

지금 눈을 트랴고하여라.

その理由と最も関連の深いのは次のどれでしょうか。

1)「웬만한位置変更                    2)「설은봄설다해도変更

3)「봄은 아니여봄이안이어変更   4)「나무가지나무도変更

詩子アナ:もう一度詩を比較して読んでみます。

旧樹芽               新樹芽

웬만한 설은봄은 아니여!         설다해도

웬만한,

봄이안이어,

나무가지 가지마다 눈을텃서라,      나무도 가지마다 눈을터서라!

내가슴에도 봄이와서

지금 눈을 트랴고하여라. 

歌樽先生:何か分かってきましたか。

詩子アナ:分かったような、分からないような不思議な気持ちです。

歌樽先生:不思議な気持ちというのがいいですね。目が輝いてきましたね。もうこれは、間違いなく分かってきたということでしょう。では、言ってみてください。

 

日韓の新たな潮流 새 흐름

大阪の韓国総領事が韓国の京郷新聞に寄稿した文章が「過去の枠組みでは捉えられない新潮流」という見出しで掲載されています(6月20日付け記事)。

原文の記事見出しは ‘과거의 프레임’으론 볼 수 없는 한·일관계의 ‘새 흐름’ です。逐語訳は「<過去のフレーム>では見ることができない日韓関係の<新しい流れ>」でしょうか。

 

Newsweek 2002年3月18-20日特集

Newsweek 2002年3月発行の英・韓語版(3月18日号)と同日本語版(3月20日号)は前年12月の明仁天皇のご発言に関する特集を組んでいます。表紙の文言はそれぞれ次のとおりです。

  • OLD SECRETS: Japan’s Uneasy Encounter With Its Cultural Roots–In Korea
  • 日本 천황은 半한국인: 아키히토 천황의 혈통고백 파문, 한국서 찾는 일본의 뿌리
  • 天皇家と朝鮮: 明仁天皇が「封印」を解いた日本と韓国の深いゆかり

特集記事は、2001年12月23日の誕生日における明仁天皇のご発言「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『續日本紀(しょくにほんぎ)』(8世紀に編纂された国史)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」にもとづいています。それぞれの冒頭ページの見出しとリード文等は次のとおりです。

Japanese are just beginning to come to grips with their Korean heritage. By George Wehrfritz and Hideko Takayama
The Ties That Bind
SHE WAS A DAUGHTER OF KOREA’S PAEKCHE KINGDOM, A foreign princess betrothed in a political marriage to a Japanese prince. As a second wife, Takanono Niigasa struggled to evade palace backstabbing until her husaband became emperor in A.D. 770. After the empress and the crown prince were jailed — allegedly for casting a shamanistic curse on the sovereign — Niigasa’s son became heir to the imperial lineage and, in A.D. 781, Japan’s 50th emperor.

내 몸 속에 한국인의 피가 흐르고 있다
아키히토 일왕, “간무 천왕 어머니는 백제 무령왕 후송” 충격 발언. 일본인은 민족・문화 형성에 미친 한국 유산을 바라보기 시작했다.
George Wehrfritz 도쿄 지국장, Hideko Takayama 기자
일본 왕자 시라카베(白壁)의 둘째 부인은 백제 완족의 후손이었다. 다카노노 니가사(高野新笠)라는 이름으로 불린 이 여인은 남편이 서기 770년 고닌(光仁)천왕으로 즉위 하기 전까지 권력투쟁의 소용돌이 속에서 어렵게 살아 남았다. 그런데 황후와 태자가 천왕을 해치는 주문을 걸었다는 죄로 투옥되자, 다카노노 니가사의 아들이 태자가 되고 781년 일본의 50대 천왕으로 등극했다. 그가 바로 간무(桓武) 천왕이다.

日本 明仁天皇の「韓国とのゆかり」発言で日本人が歴史の真実を見据える時が来た?
天皇が結ぶ日韓の縁
和朝廷の皇太子と結婚した高野新笠(たかののにいがさ)は百済の武寧王の血を引いていた。だが、第二夫人の彼女は、朝廷に渦巻く陰謀から必死に身を守らなければならなかった。夫の白壁王は770年に光仁天皇として即位。第一夫人とその息子は、朝廷に災いをもたらしたとして幽閉された。代わりに世継ぎとなったのが新笠の息子で、781年に桓武天皇として即位した。

2002年3月18日発行の英語・韓国語版
newsweek20020318-english-korean

2002年3月20日発行の日本語版(一部)
newsweek20020320-japan

つつじの花 진달래꽃 15

サイバー中継: ハングルの詩のある風景

つつじの花  진달래꽃  第15回

詩子アナ:はい、わかりました。

第27問:2連以下、一緒にやってみます。

寧邊薬山(약산)  
진달래꽃
아름 따다 가실 길에 뿌리우리다

寧邊は薬山           寧邊にゃ薬山
つつじ花            つつじ花
摘んでは道に撒きましょう。   摘んで花道作ります

가시는 걸음걸음
놓인 그 꽃을
사뿐이 즈려밟고 가시옵소서

行く歩みごと          一歩行くたび
敷きし花            敷かれた花を
軽く踏みつけ行きなされ     しかと踏み踏み行きなされ

나보기가 역겨워
가실때에는
죽어도아니 눈물흘리우리다

私に会うのが嫌になり     会うもお嫌の
去ってお行きになる時は    別れなら
死んでも涙は流しませぬ    涙なんぞは見せまいぞ

歌樽先生:では、右側の粗訳を中心にもう一度みて、直してみましょう。

詩子アナ:ああ、ややこしや、ややこしや!すこし新しい感覚でやってみます。

逢うもお嫌の
お別れ話
何も言わずに見送るわ

寧邊、薬山
つつじの花を
摘み採りお道に撒きましょう

一歩行くたび
敷かれた花を
しかと踏みしめお行きなさい

逢うもお嫌の
お別れ話
涙なんかは流しませんよ

歌樽先生:掛詞もいくつか入っているようですね。

詩子アナ:はい、いろいろ考えてみました。

歌樽先生:いろいろと考えた跡が見えますが、詩という感じがしないのはなぜでしょうかね。

詩子アナ:そろそろ限界、玄海灘です。もう先が見えません。お腹も空きました。

歌樽先生:スンデのおいしいお店に行きましょう。訳詩はその後にしましょう。

つつじの花 진달래꽃 14

サイバー中継: ハングルの詩のある風景

つつじの花  진달래꽃 第14回

歌樽先生:それは微妙に違うでしょうね。微妙以上に違うこともありますね。

詩子アナ:微妙以上もですか。では、前回と前々回の内容をもう一度整理してみます。

①「見送る人」の本心と「去る人」への心情を分けて考える。

②「가시」が棘の意とすると、生と死を担っている。

③「가시는」の修飾関係が1925年の修正で変わっている。

④「사뿐이:軽やかに」と「즈려밟고:力を入れて踏みつける」のバランスが悪い。

⑤表面的には消極的だが、内に鋭い匕首(あいくち)が込められている。

歌樽先生:では、この調子でどんどんすすめましょう。

詩子アナ:まず、「가시는」では「去る人」には尊敬語「가시다:お行きになる、去られる」の連体形を用いつつ、一方「見送る人」の本心としては「가시는」が「心に刺さる棘」とも読めるようにしていることが挙げられます。

歌樽先生:「가시」が「棘」と読める根拠は?

詩子アナ:以前、私に「貸しを作られることにもなりますし」とおっしゃったのですが(第9回参照)、この「貸し」は実は「가시」のことだったんですね。

歌樽先生:それで?

詩子アナ:花とか植物とのかかわりをもつ言葉と同じ言葉を第18問(第9回)でやりましたが、タイトルの「진달래꽃」の「」だけからも、「가시」から「棘」を連想することは可能だと思われますが。「棘」は使い方によっては「匕首」にもなりますし。

歌樽先生:では「사뿐이」の方は?

詩子アナ:これが分かれば、第26問の答えになりますか。

歌樽先生:ほぼ、できるでしょう。

詩子アナ:では、お言葉に甘えてそうさせていただきます。

第26問:「死」の文字は「죽을 」といいますから、「사뿐이」は「死だけ」と同じ音になっています。

「見送る人」の側では「あなたが去ってしまえば私に残るのは生きる望みのない「死」だけのように感じられるのですが、「去る人」への心情は、見送る人の分身であるつつじの花には私の心に棘が刺さっているように棘があるので、「사뿐이:軽やかに」踏んでいかないと去るあなたに深く刺さってしまう、これは自分の本意ではないけれどといった心の葛藤が上の「사뿐이:軽やかに」と「즈려밟고:力を入れて踏みつける」のバランスが悪いという指摘を受けることになったと思われます。

歌樽先生:なるほど、これで第26問の答の軸はおおよそできたようですね。こうしたことを踏まえて訳詩することができればいいですね。では、やってみましょう。

詩子アナ:えっ!私が? 無理、無理、無理の十八里ですよ。

歌樽先生:久しぶりに無理、無理、無理の十八里が出てきましたね。18番のようですね。

詩子アナ:いえ、その2倍の無理、無理、無理、無理、無理、無理の36里の気持ちです。

歌樽先生:粗訳したものをまず並べてみましょう。

詩子アナ:並べるだけなら、すぐにできます。まず、1連です。

나 보기가 역겨워
가실 때에는
말없이 고이
보내 드리우리다

私に会うのが嫌になり 会うもお嫌の
去ってお行きになる時は 別れなら
黙ってそっと送りましょう。 黙ってそっとお見送り

歌樽先生:では、この調子で、2連のほうもやってみましょう。

詩子アナ:2連の短いほうの粗訳はまだやってなかったんですが。

歌樽先生:では、これをしていただきましょう。

第27問:2連以下も1連のように粗訳をしてみましょう。

 

つつじの花 진달래꽃 13

サイバー中継: ハングルの詩のある風景

つつじの花  진달래꽃  第13回

詩子アナ:ということは、ということは?

歌樽先生:詩の構造と関連させると?

詩子アナ:ああ、そういうことですか。Aは「가시는」と「발걸음」の間に「길」があるので、「발걸음」とはワンクッション置いてありますが、Bは「가시는」が直接「걸음걸음」に掛かっています。このBの文型であれば、「가시」を「棘(とげ)」と訳しうる条件を作っているように思います。

歌樽先生:なるほど。「가시는 길」では、「お行きになる道」としか理解されないけれど、「가시는 걸음걸음」では「お行きになる一歩一歩」という意味と、「棘は一歩一歩」と言う風に読めるということですか?

詩子アナ:そ、そうです。そういうことを言いたかったんです。

歌樽先生:では、この「棘」はどこにいったのでしょうか。ヒントになるかも知れませんので、

ここで気分をかえて「가시나무새」という歌を聞いてみましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=Y3Jyy4GtZQs

詩子アナ:歌っているのは패티김のようですが。

歌樽先生:そうですね。こんな歌詞です。

Screenshot_20180530-235010_1「離別(이별)」「サランへ(사랑해)」などでも有名ですね。

別の歌手のものも聞いてみましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=yFalDaFMj_E

詩子アナ:歌唱力がすばらしいですね。アリという歌手ですか。「가시나무(茨の木)(鳥)」というのはどんな鳥ですか。

歌樽先生:下のサイトにでていますから、チェックしてみればわかりますよ。

http://goodwhmakers.tistory.com/242

詩子アナ:はい。オーストラリアの作家のコリーン・マッカラの小説「The Thorn Birds」、1977年の作品に出てくる伝説の鳥で、生まれて一度だけ歌を歌う時に、棘の木を探し、最も鋭い棘を体に刺し、地上で最も美しい声で歌いながら死んでいくという話のようですね。さっきのアリの歌の最後は歌いながら死んでいく鳥の様子だったんですね、ジーンと来ました。

生まれは1937年ということは金素月が亡くなった3年後に生まれた方なんですね。

歌樽先生:すこし、気分転換になりましたか。では、本題に戻りましょう。

第26問:「가시는」「사뿐이」の意味の二重性をヒントに、「見送る人」の本心と「去る人」への心情を説明してみましょう。

詩子アナ:「見送る人」の本心と「去る人」への心情は同じことではないんですか?

つつじの花 진달래꽃 12

サイバー中継: ハングルの詩のある風景

つつじの花 진달래꽃 第12回

詩子アナ:地方によって歌にも特徴があるようですね。「십 리도 못 가서 발병 난다」の「10里」というのはマラソンの距離ぐらいのことを言っているのですか。

歌樽先生:では、これを問題にしましょう。

第24問:「10리(里)」とはどのくらいの距離でしょうか。

1)2km位   2)4km位   3)8km位   4)16km位

詩子アナ:1里はおよそ4キロですが、選択肢の最大値が16kmということですから、日本の里とは単位が違うようですね。

歌樽先生:「십 리도 못 가서 발병 난다」は「10里も行けないうちに足が痛くなる」といった意味ですから、これを参考にしてみてください。

詩子アナ:普通に行ける距離なのに、私を置いて行くので、その距離さえ行かないうちに足が痛くなってしまうといった意味合いなんでしょうか。

歌樽先生:そういった意味ですね。今でも田舎のお年寄りは20里とか30里などという表現をしていますよ。つい最近まで、2-3時間歩くのはなんでもありませんでしたからね。

詩子アナ:はあ、そうですか。大ヒントですね。分かりました。

第24問:2)4km位、です。

時速4キロだとすると、2キロだと往復しても1時間ですし、8キロだと片道で2時間、往復で4時間ですから、これはちょっと大変なので、4キロがぴったりかなと思いました。

歌樽先生:ヒントを言い過ぎましたね。

詩子アナ:ヒントで助かりました。「십 리도 못 가서」は言い換えれば「1時間も歩かないうちに」と言う意味なんですね。

歌樽先生:では、この詩の最大の難関に挑んでみましょう。

詩子アナ:ウワー!最大の難関ですか。

歌樽先生:そうですね。1996年、当時ソウル大学の先生だった金容禝(김용직)教授は「사뿐이 즈려밟고 가시옵소서.」の「사뿐이:軽やかに」と「즈려밟고:力を入れて踏みつける」は表現のバランスが合っていないという指摘をしています。(김용직김소월전집서울대학교출판부 1996 p.167)

また、それよりも10年以上前に、当時誠信女子大学で教鞭をとられていた李姓教教授 は「진달래꽃」と「변칙<아리랑>(新アリラン)」の歌詞を引用し、「表面的には極めて消極的なようであるが、内には鋭い匕首(あいくち)が込められている」という指摘をしています。(『金素月研究』새문社 1983 p. Ⅳ 43)

これをヒントに今回の詩のキーハングルの「사뿐히 즈려 밟고 가시옵소서.:(直訳)軽く踏みしめお行きください」の真意を探してみましょう。

詩子アナ:ようやく今回の詩のキーとなるハングルに到達ですか。この部分は1922年の『開闢』では「고히나 즈려밟고 가시옵소서」となっていたところですよね。

歌樽先生:そうです。そこのところをもう一度見ておきましょう。(第8回参照)

A: 가시는 길 발걸음마다
뿌려노흔  그 꽃을
고히나 즈려밟고 가시옵소서. (1922)

・・・・・・・・・・・・・・・・

B: 가시는 걸음걸음
놓인 그 꽃을
사뿐이 즈려밟고 가시옵소서 (1925)

詩子アナ1922年のAと1925年のBは詩の構造が少し違うようですが。

歌樽先生:いいところに気が付きましたね。これを問題にしてみましょう。

第25問:「가시는」が修飾するものは何でしょうか。

詩子アナ「가시는 길」と「가시는 걸음걸음」ですから、これは分かります。

第25問:Aは가시는」が「길」を修飾しているのに対して、Bは「가시는」が「걸음걸음」を修飾しています。

歌樽先生:ということは?

つつじの花  진달래꽃 11

サイバー中継: ハングルの詩のある風景

つつじの花  진달래꽃  第11回

詩子アナ:「가시리歌詞を書いたものはないんですか。

歌樽先生:昔の表記のものと今の表記に直したものと解釈したものがあります。いろいろと難しいところもあるのですが、まずは第1連を書き直した歌詞を見ておきましょう。

가시리 https://namu.wiki/w/%EA%B0%80%EC%8B%9C%EB%A6%AC
가시리 가시리잇고 나는
버리고 가시리잇고 나는
위 증즐가 大平盛代 (대평성대)

詩子アナ:書き直したものでも難しいですね。

歌樽先生:現代語に直したものもありますから、そちらを見てみましょう。

第23問:「가시리」の現代語訳のものを新しく訳してみましょう。できれば、音韻数をそろえられるといいですね。

詩子アナ:確かに古い歌のようですね。

第23問:現代語訳のものを会話風に粗訳してみます。

가시렵니까? 가시렵니까?       行っちゃうの? 行ちゃうの?
버리고 가시렵니까?            私を捨てて行っちゃうの?

나더러는 어찌 살라하고         どう生きろっておっしゃるの
버리고 가시렵니까?            私を捨てて行っちゃうの?

붙잡아 두고싶지만              私のそばにいてほしいけど
서운하면 아니올까 두렵습니다.   嫌になられたら恐いから

서러운 보내드리니           辛いけれどもお送りするわ
가시자마자 돌아오십시오     着いたらすぐに帰って来てね

歌樽先生気持ちが伝わってきますね。一味も二味もちがいますね。

詩子アナ:古いものも当時は新しかったはずですから、思い切って新しく訳してみました。

歌樽先生:「古いものは新しい」ということですね、なかなかの着想ですね。

詩子アナいえいえ、それほどでも。가시리」と「진달래꽃」は確かに相通ずるものがありますね。

歌樽先生:「아리랑」という歌があるのですが、これを聞いてみましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=gkM_LXUCMeA

詩子アナ:この歌は聞いたことがあります。

歌樽先生:では、詩を書き取ってみましょう。

詩子アナ:「가시리」に比べると分かりやすい詩のようですね。

          아리랑 아리랑 아라리요.    
          아리랑 고개로 넘어간다.    
          나를 버리고 가시는 님은    
          십 리도 못 가서 발병 난다.

歌樽先生:地方に残っている「アリラン」とは違って、古くからある民謡という感じはしませんね。「新アリラン、本調(본조)アリラン、変則(변칙)アリラン」などとも呼ばれています。

詩子アナ:地方の「アリラン」があるんですか。

歌樽先生:「旌善(정선)アリラン」「珍島(진도)アリラン」「密陽(밀양)アリラン」などが特に有名ですね。https://www.youtube.com/watch?v=s0cHt_S4EjU

https://www.youtube.com/watch?v=6TyplwmcbTA

https://www.youtube.com/watch?v=mi4GTpDr_24